思えば歳を取ったもんだ

恥多き我が生涯について赤裸々に語ります。

地獄からの生還:後編

私があの精神の地獄から抜け出すのは容易ではなかった。

翌年とにかく働かねばと、地元のスーパーマーケットにアルバイト入社した。しかし、働いているうちにつらくてつらくて辞めたくなった。

鮮魚部門に配属されたのだが、連日上司からの仕事が遅いとの叱責に、

(こっちは初心者なんだ、仕方ないだろう)

と内心毒づきつつも、気の弱い私は反論もできずにストレスを溜め続けた。

ある日とうとう耐えきれずに、上の人に辞意を表明した。何か、他にいい仕事があったわけではない。

ただ、この嫌な職場から逃げ去りたいその一心だった。結局慰留される形で退職は思い止まった。

その後、直属の上司が上とうまくいかなくなったのか、年末に辞めてしまった。

新しい上司は優しい方だったが、相変わらず仕事はつまらなかった。どうも鮮魚コーナーの仕事自体が合わなかったように思う。

勤務時間は決まっているのに、ひたすら溜まりゆく作業をこなさなければいけないつらさ!

それが更に私を蝕み、何度となく職場で鬱の発作で倒れさせる原因となった。

このままでは重大な事故を引き起こすのではないか。私は主治医に懇願し、何度となく休職した。

しかし一週間経って現場へ戻らなくてはいけないという状況になっても、私の心は晴れず鬱々とした気持ちは続いた。

結局、何もかも嫌になって年末に大阪まで家出をしたり、ODすなわち睡眠薬の大量摂取で二階の階段から転げ落ちてしまったりした。

その間、家内は卵巣癌に発症して卵巣・子宮を全摘手術をするなど、私よりつらい立場に立たされた。

しかし私には、家内を労う余裕さえなかった。

二階から転げ落ちた際、肋骨にヒビが入り一ヶ月近く自宅療養をした。その時だ、何がなんでも辞めてしまおう、と。

私という不良債権を抱えた上司は、彼自身もうつ病となり数ヶ月の休職を余儀なくされた。

最後の別れの時、自分もいずれ辞めますと宣言した際上司と一言、

「そうか」

と言ったきりだった。自分のことで精一杯でそれどころではなかったのだろう。

それからニヶ月後、私も辞めた。するとどうだろう。それまでの鬱屈とした日々が彩り豊かなものになった。

もちろん生活のためには食べていく術を見出さねばならない。

当分は登録制のアルバイトで食い繋ぎ、mixiで同じ小説を書く仲間と交流した。

同好の士を見出したことは、私の人生をどれだけ救ったか知れない。仮にまた鬱で悩んでも、話し相手となってくれ、何度も勇気づけられた。


今、鬱は幸いにも小康状態だ。今度就く介護職次第ではまたぶり返すかもしれない。

でも、自分はもう独りぼっちではない。その思いが、いつかやって来る苦悩に対しても私を救い出してくれるだろう。

そう信じて、このブログや小説執筆を続けていきたい。人生、正にこれからだ!

※このブログは、毎月第1、第3土曜日に配信予定です。


iPhoneから送信