思えば歳を取ったもんだ

恥多き我が生涯について赤裸々に語ります。

2020-01-01から1年間の記事一覧

読書禁止令

昨今、若者の読書離れが叫ばれて久しい。10代の前半から半ばまで、読書を止められた経験を持つ身としては贅沢な悩みにすら思える。 馬鹿げた話だが、あの女は私の止むことのない読書欲を押さえつけようと度々読書禁止令を出した。 しかし、いくら家で読むの…

地獄からの生還:後編

私があの精神の地獄から抜け出すのは容易ではなかった。 翌年とにかく働かねばと、地元のスーパーマーケットにアルバイト入社した。しかし、働いているうちにつらくてつらくて辞めたくなった。 鮮魚部門に配属されたのだが、連日上司からの仕事が遅いとの叱…

地獄からの生還:前編

父が亡くなってからの六、七年は事実上精神の地獄へと堕ちていた。 いろいろなことがあった。同じ鬱仲間である女友達と些細なことで喧嘩になり、絶交を言い渡された。 当時勤めていた某国立大学での用務員の仕事も、派遣法の改正(私は改悪だと未だに、当時の…

父の遺骨

昨日(2020年10月17日)に、久留米の菩提寺にて父の遺骨を引き取った。車で片道15時間、一昨日の夕方17時過ぎに出発して朝8時前に着いた。 なんというか、十三回忌も終わったことだしやっとかと一安心した。 思えば17年前にうつ病に罹患したことで、父とは絶縁…

父に捨てられた日

以下は、父が亡くなった後母方の叔母から聞いた話だ。ようやく重い口を開いたという感じであった。 父と母が離婚する前、二人の間ではいさかいがあった。私が誕生するまで、父はパチンコ屋で勤めていた。 ところが母の両親つまり祖父母がいい顔をしなかった…

なんて事だ!

我が藤山家は、福岡に本家がいる。十二年前父が他界した際、本家の伯父が遺骨を引き取って久留米の菩提寺に弔ってくれた。 その点では、伯父には感謝してもしきれず一周忌、三回忌、七回忌にはこちらも出向いて線香を手向けた。 で、今回の十三回忌を区切り…

おばあちゃん

母方の祖母が亡くなった。九十三歳だった。ここ数年は養老院で過ごしていた。ご存じの通り、昨今のコロナ騒動で養老院も面会謝絶となっていた。 どれだけ寂しかったか。認知症もあったので、見捨てられたくらいのことは思ったかもしれない。 最後は食べるこ…

ジャナ専時代の頃:後編

まだご存命かどうかは知らない。 ジャナ専こと日本ジャーナリスト専門学校のジャーナリスト総合科に進んで三年目、文章実習の科目で本岡類先生という現役の小説家に教えを乞うた。 当時ミステリーを書いていた新進作家で、その年に直木賞の候補になった方だ…

ジャナ専時代の頃:前編

私は1991年から94年の3年間、東京にあった日本ジャーナリスト専門学校に通っていた。通称ジャナ専という。 場所は、JR高田馬場駅から早稲田大学方面に歩いて20分ほど。父から早稲田入学を期待されていた身としては、皮肉な道のりであった。 歩いていくうちに…

確執

ただ、私は大学受験を甘く見ていた。ある先生から、 「藤山くん、大学入試は高校入試に毛が生えた程度のものとは違うぞ」 忠告されていたにも関わらず、ギリギリまで部活動を続けていた。今にして思えば愚かであった。 結局、国立も含めて何校か受けたが全滅…

父上、ご無体な!

父は私にとってかけがえのない存在だった。あの人なしには、私は生きていけなかった。 父にとってもそれは同様だろう。いわば私たち父子は、共依存の関係だったわけだ。 そんな私でも、時々豹変する父の態度に辟易することがあった。たとえば例によって山ノ…

かけがえのない友だち

山ノ内町の話を続ける。当時住んでいた団地(といっても、たかだか三階建てだが)に親友と呼べる子が一人いた。 名前は確か、小島みのると言い私より一つ下だったと思う。団地の管理人の息子さんなのだが、妙に気が合った。 その頃父は経済的に余裕があったの…

帰ってこなけりゃいい

前回も記したように、父の思いつきのような行動で引っ越しを強いられた少年時代だった。 当然周りになかなか馴染めず、仲良くなったと思ったらまた転校と非常に笑えない状況が続いていた。 特に長野県北部の温泉街、山ノ内町に住んでいた時はあの女が芸者を…

読書だけが救いだった

テレビでアニメやドリフのコントはよく観ていた。それでも小学校もだいぶ高学年になってくると、それすら観るのが禁じられてきた。 テレビの話題で友達と会話が成り立たないと寂しいと感じるものだ。 もっとも我が家の場合、転校に次ぐ転校の繰り返しで友達…

母なし子として育てられ

「私は子供なんて嫌いなんだから!」 それが離婚の理由だと、父は私に繰り返し繰り返し吹き込んだ。なにしろ、まだ赤ん坊の時分の話だ。 母にも異論はあっただろうが、私としては引き取った父の言葉を信じるしかない。 もっとも小学3年生の頃までは、母親は…