思えば歳を取ったもんだ

恥多き我が生涯について赤裸々に語ります。

地獄からの生還:前編

父が亡くなってからの六、七年は事実上精神の地獄へと堕ちていた。

いろいろなことがあった。同じ鬱仲間である女友達と些細なことで喧嘩になり、絶交を言い渡された。

当時勤めていた某国立大学での用務員の仕事も、派遣法の改正(私は改悪だと未だに、当時の民主党政権を憎んでやまない)で雇い止めとなった。

そして派遣切りとなる最後の月、すなわち2011年3月11日に起きた東日本大震災。あれが精神的に大ダメージとなった。

運悪くというか、職場のテレビで今まさに大津波で東北の家屋や走っている車やら呑み込まれるさまを見てしまったのだ。

今の日本でこんな大惨事が引き起こされるなんて。ショックで我が事のように感じた。

しかし今から思えば、あんなものはしょせん他人事に過ぎなかったのだ。

これから職を失い、どう生きていくべきかを考えなければいけない身としては自分の心配をしなければいけなかった。

取り敢えずは、定職に就くための職業訓練を受けよう。

というわけで、退職(事実上の雇い止めだが)して間もなくホームヘルパー二級(現在は、介護職員初任者研修)の講座を受けることにした。

家内から年々弱ってきている義母(2014年1月に他界)の介護も兼ねてと勧められてのことだった。

だが、当時の私には3K(きつい・汚い・給料が安い)と敬遠されていた介護業界に入る覚悟ができていなかった。

なにより東日本大震災の後に雇い止めに遭ったという不平不満が、私の精神をズタズタにしていた。

うつ病による希死念慮もあっただろうが、日々死にたい、死にたいという気持ちが頭を支配していた。

ヘルパーの講座をやっているビルの窓から飛び降りたら楽に死ねるのに。そんなことをしょっちゅう考えていた。

勉強をしていてもただただつらくなるだけで、まったく手につかなかった。そしてある日、遂に行動に移してしまった。

通院していた心療内科で処方してもらった睡眠薬、約四週間分を大量摂取し近所の公園の沼に飛び込んで人生の幕引きを図るつもりだった。

薬は飲み切った。後は沼に飛び込むだけ。だが、その直前で意識が途切れた。

気がつくと病院のベッドだった。傍らには、家内が涙目で見守っていた。死に損なったのだ。

恥ずかしかった。自殺を試みたことを、ではない。生き恥をさらしたことがやりきれなかった。あの頃の私は、病めるところまで病んでいた。

後年になって聞いたことだが、医者は入院させることを勧めていたらしい。が、家内はガンと拒否した。

入院していたら、私は完全にボロボロになっていただろう。今となっては、家内の判断に感謝するしかない。

しかし妻の心を知らずして、私はヘルパー講座を途中で辞めてしまった。

自分のことで精一杯で、他人様の面倒を見られる状態ではなかったのだ。

精神の地獄は未だ続いていた。

後編に続く。

※このブログは、毎月第1、第3土曜日に配信予定です。

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