思えば歳を取ったもんだ

恥多き我が生涯について赤裸々に語ります。

父に捨てられた日

以下は、父が亡くなった後母方の叔母から聞いた話だ。ようやく重い口を開いたという感じであった。

父と母が離婚する前、二人の間ではいさかいがあった。私が誕生するまで、父はパチンコ屋で勤めていた。

ところが母の両親つまり祖父母がいい顔をしなかった。生まれてくる子のためにも、ヤクザな仕事から足を洗って定職に就いてくれと言われたらしい。

生前の父によると、天職と思い定めていたパチンコ屋稼業を泣く泣く辞める羽目になったとのこと。

そこまでは致し方ないエピソードとして受け流せる。が、その後が良くない。

父曰く、ヤクザな稼業に手を染めていたせいかなかなか次の仕事が決まらない。母はそんな父に愛想を尽かしたという。

ところが叔母の証言によると、この辺のニュアンスがだいぶ違う。私を出産後、母は水商売の世界に身を投じてまで私や父を養っていたそうだ。

これだけでも、当時の母が家庭を守るため孤軍奮闘していたことがわかる。

良くなかったのは父だ。いわばヒモ同然の立場になったのを恥じて、再就職へ向けて動き出すべきだった。

しかし母が働き始めたことで、こりゃ楽でいいわいと思ったのかどうか。

パチンコ屋時代に知り合った友人を毎晩家に招いては、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをしたらしい。

普通一家の大黒柱というべき存在が働かなくなったら、少しは自重して職探しに懸命になりそうなものだ。

実際後年、あの女と再婚した際次の仕事が決まらない間水商売の仕事をやらせて自分は好き勝手にやっていた父を目撃していたのであり得る話だと得心がいった。

いずれにしても。

母の堪忍袋は遂に切れた。父と激しく口喧嘩でやり合った後、単身で家出をしてしまった。

父は困った。唯一収入を稼いでくれる母がいなくなったことで、途方に暮れたのである。

八方手を尽くしたが、母の行方はわからない。逆上した父は、信じられない行動を取る。

新幹線の高架下に、まだ乳飲み子であった私を遺棄したのである。つまり捨て子にされたのだ。

この話を聞かされた時、数秒間私は電話口で絶句した。

が、すぐに、父が逆上すると何を仕出かすかわからない性格であるかを熟知していた私は、その現実を受け止めた。

真夜中その知らせを父から受けた祖母と叔母は、泣きながら私を拾い上げに向かった。

こんな男に私を任せられない。祖父母は、自分たちが引き取ることを本気で考えた。

しかし父はすぐに私を奪い返しに行った。いわば私は、母を連れ戻すための人質だった。

ようやく家に戻ってきた母はしかし、このまま一緒にいては父は堕落する一方だと判断した。それが次の恐るべき一言となった。

「私は、子どもなんか嫌いなんだから!」

母がどんな思いでこの一言を吐いたか、今思うと胸が痛くなる。そして二人は離婚し、父は長距離トラックの運転手となって私を連れて行ってしまった。

※このブログは、毎月第1、第3土曜日に配信予定です。

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