思えば歳を取ったもんだ

恥多き我が生涯について赤裸々に語ります。

確執

ただ、私は大学受験を甘く見ていた。ある先生から、

「藤山くん、大学入試は高校入試に毛が生えた程度のものとは違うぞ」

忠告されていたにも関わらず、ギリギリまで部活動を続けていた。今にして思えば愚かであった。

結局、国立も含めて何校か受けたが全滅だった。高校卒業後浪人生活に入ったが、半年と持たずに挫折。地元の製麺工場に中途入社した。

鬱屈の日々だった。毎晩酒を飲んでは荒れての生活を送っていた。本当は売れっ子作家になるための近道として、大学を目指していたのに。

それがしがない工場勤務に身を落としたと悲観的になっていた。

それでも小説を書きたいという思いを捨て切れなかった。

そんな時、たまたま『ムー』というオカルト雑誌で『エンブリヨ』という同人誌で同人を募集しているというのが目に止まった。

ホラー専門誌ということだが、なんでも構わなかった。とにかく小説が書きたかった。

結局この『エンブリヨ』には、二年足らずの社会人生活と三年間の専門学校生活で投稿をしていた気がする。

もっとも専門学校時代の三年間は、あまり『エンブリヨ』に関わることが少なくなっていた。

当時埼玉県の小川町という所に住んでいたのだが(広い意味でだが)、駅から東武東上線の始発に乗り、池袋駅から高田馬場駅を山手線に乗って歩いて二十分くらいの専門学校に通っていた。

片道約二時間というのを、三年間繰り返した。もっとも単位に余裕が出てくると、遊ぶ金欲しさにバイトを掛け持ちした。

それはいい。いずれにしろ、東京で遊ぶことの楽しさに取り憑かれた私は、小説を書くことをほぼ忘れていた。

他にも理由はあったが、作家を目指すという意味では専門学校時代の私は完全にドロップアウトした。

とはいえ、女遊びは問題外にしても図書館でクラシックのCDやレコードを聴きまくり、読書をしまくりその合間にバイトをしたということではそれなりに意味のある三年間だった。

ところが父はそうは受け取らなかった。三年間通った末、就職も決めなかった私の歳月を無価値と断罪した。

おまけに卒業を前に決まった就職先までケチをつけられ、後日ハガキで断るという嫌な思いまでさせられた。

十五の時に父と二人暮らしをするようになり、それなりに良好かに見えた親子関係に亀裂が入り始めた。

それは埼玉から静岡に引っ越すという唐突な提案から決定的となった。

私をなにか所有物のように考えている父に嫌気が差して、静岡へ引っ越すと精神的な距離は遠くなった。

それでも望まない就職先で働き、夜は酒を飲んでいる間は鬱屈は免れた。

やがて自動車の免許を取ると外で遊び歩く機会が増えていった。

それでも帰ってくる分には、まだ私と父の絆は切れていなかったといえる。

やがて二人の関係が完全に決裂することになるが、それはまた別の機会に。

 

※このブログは、毎月第1、第3土曜日に配信予定です。

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